Statement
来る7月13日で弊廊の14周年を迎えるにあたり、「傾国」を題材とした企画展を開催いたします。国を滅ぼす美人(性別不問)、魔性の女ファム・ファタール、そして、国が傾き、争いが起きて滅ぶということ。
美人を描き、戦争に反対すること
"北方に佳人有り 絶世に而て獨り立つ 一たび顧みれば人の城を傾け 再び顧みれば人の國を傾く 寧ぞ傾城と傾國を知らずや 佳人を再び得るは難し" ——李 延年
権力者に媚を売り、政治を乱し、戦争を招き、民衆を苦しめ、国家を滅ぼす──。為政者が美女を寵愛するあまり政治を疎かにし、国が滅ぶとき、その女性を「傾国」と呼ぶ。
中国、殷王朝に生まれた妲己はその美貌で紂王を誑かし、贅沢を極め、悪法によって庶民を苦しめ、「紂を亡ぼす者はこの女なり」と言われた。その正体は九尾の狐であるという。
"ファム・ファタール [femme fatale 仏]: 運命の女。男を破滅させる魔性の女、悪女"
ある人が社会から「妖怪」と見なされるとき、そこには差別がある。
家畜を殺したのは人狼だ、子供が病気になったのは異教徒の呪いのせいだ、あいつが有名になれたのは正体が宇宙人だからだ……。世の中が過渡期を迎えると人は不安になり、社会問題の原因を政治の失敗やシステムの機能不全ではなく、「裏で暗躍する悪いやつのせいだ」と妄想することがある。
国が滅ぶとき、その責任を為政者ではなく「王の隣りにいる女」に転嫁すると傾国になる。傾国とは、正当な政治疑義と不当な女性蔑視が悪魔合体して生まれる女性の妖怪化・魔女化だ。
ギャラリーの開廊以来、「美人画」という言葉を忌避し、遠ざけてきた。素朴に美人画を逍遥したり、19世紀末に魔性の女ファム・ファタールを描いた画家たちは、そこに潜むルッキズムや偏見をどれだけ自覚していただろうか。
しかし、現実では差別を忌避しつつも、創作は自由を固持する。そこに潜む問題を誰よりも自覚していればこそ、フェティシズムに耽溺して妄想をたくましくする権利を、そこから生まれる作品の輝きを断固として守る。私たちは創作の中で美人や殺人を描きながら、同時に差別や戦争に反対することができる。
"戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである" ——吉田健一「長崎」より
美術は遅い。社会の話題にいち早く応答するジャーナリズムやSNSと異なり、美術はとても遅い。対象について学び、考え、作り、発表する。そして、鑑賞者がわざわざ脚を運ぶ。そのころには、社会はもうその話題を忘れていることもある。
でも、その遅さこそが美術の強みでもある。人々が早急に答えを求めて盛り上がり、やがて、早くも忘れ去ったころ、美術はまだその場所にいる。100年後もまだそこにいて、問いを発し続けている。
ところが、その反対に、アーティストは時代を先んじる「炭鉱のカナリア」とも呼ばれる。いち早く社会の変化や問題に気がつき、警告を発する予兆と見なされる。
美術はその遅さゆえに、人々が見落としていた視点や問いに気づくことがある。後追いにして前兆。この矛盾するふたつの側面は恐らくこういうことだ──ある社会の同時代(contemporary)において美術は遅く現れるが、その次の時代から振り返ったときにはより大きな流れの前兆として見える。なぜならば、美術は遅さゆえに前の時代と後の時代を通じてそこに残り続けるから。
この企画展が開催されるころ、社会はどうなっているだろうか。今もまだ戦争を起こし、他国や自国を傾けようとする人たちは権力の座にいるだろうか。
もしもう遅かったとしても、美術はゆっくりといつまでもここにあり続ける。
文・小林義和(Gallery 幻)
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