PHOTO / 写真 公募展

公募セルフポートレイト展
私がわたしを撮る理由6

"「セルフポートレイト」というものが一つのジャンルとなってしまった今、それは「自己陶酔」や「ナルシシズム」といったイメージで受け取られがちです。そうした固定概念を拒否、あるいは積極的肯定し、それが一つの写真作品であると訴えるとともに、「なぜ自分を撮るのか?」を問い直す展示を行います。"

上記は「selfie(セルフィー:自撮り)」という言葉が世界的流行語となる一年前、2012年7月に開催された第1回「セルフポートレイト展 私がわたしを撮る理由」の宣言文です。本展は以降2015年まで計4回開催しましたが、2016年に1年の休止期間を設けました。それは、世にあふれるセルフポートレイトや自撮りの中で、この展示が当初の宣言文を離れ一時の流行熱や飽和の共犯者になることを恐れたからです。セルフポートレイトを大切にしたい、そのためのお休みでした。そして2017年に開催した総集編としての第5回を踏まえ、このたび公募による第6回を再開します。

ソーシャルメディアの普及で「自撮り」を見ること・撮ることが日常化し、誰もがコンテンツとしての「自分」を配信できる。似たような「私」があふれる中に埋もれず意志を持ち撮ること、あるいはふと立ち止まり少し考えることができたら、写真が意味をなす力は光を放つと思う。

自分を撮るあなただけの意味と意志を示して欲しい。
「あなた」が「あなた」を撮るのはなぜですか?

(艶子 / アーティスト・Cafe Gallery 幻)

 

※本展示には芸術表現としてのヌードが含まれます。ご同意の上ご入店ください。
 未成年者の観覧には保護者様のご同意とご配慮をお願いいたします。

2018年1月12日(金)~1月27日(土) ※投票受付は26日まで

休廊日 15(月)、18(木)、19(金)、23(火)、24(水)
時 間 15:00~22:00
観覧料 無料
審査員 Vector Mainlander / かね子はる / 小林義和 / 艶子
主 催 Cafe Gallery 幻

企画
艶子(Cafe Gallery 幻)

出展作家
阿部、音喜多歌南、eri、笠原小百合、元帥栞、時遊神/中田毅志、東司西浄、とみい、novustojkovic、深沢久美、マキエマキ、真子、めぐナリー、杳芽具見、りゑを

展示公式Twitter
@w_w_t_r
TwitterやInstagramにハッシュタグ #私がわたしを撮る理由 を付け、展示の感想やあなたのセルフポートレイト写真&撮る理由を投稿してください

▼過去の内容・受賞者はこちら
> 企画展「私がわたしを撮る理由 5」(2017年)
> 公募展「私がわたしを撮る理由 4」(2015年)
> 公募展「私がわたしを撮る理由 3」(2014年)
> 公募展「私がわたしを撮る理由 2」(2013年)
> 企画展「私がわたしを撮る理由」(2012年)

審査結果発表

■観客投票人数:133名  ■有効投票数:838票(審査員票を含む)

 

優勝: 深沢久美「その時間が、いつか」(173票)

※上記画像は作品の一部のみを掲載しています

私がわたしを撮る理由

5年以上セルフポートレイトを撮ってきましたが、今回の展示にあたり「私が"わたしと彼女"を撮る理由」とするならば。

仕事から保育園の迎えに向かい、帰宅して寝かしつけるまでの娘と二人きりで過ごす慌ただしい時間。それは炎上したオムツのCMの文句のように「いつか宝物になる」なんて綺麗事だけじゃないけれど、あえて残そうとしなければ、私も彼女もいつか記憶からこぼれてしまう時間だから。

もともとは発表を前提とせず撮りはじめた個人的な記録でしたが、いわゆるワンオペ育児状態下の親子の日常を母中心に撮るということはセルフポートレイトの手法でしか撮ることができないと思い、今回の展示に至りました。

講評

■かね子はる(3票)
写真を撮るというのはまさにこういうことだと私は思います。今しかないこの時間を刻みつける手段であると。ありのままを記録することは勇気のいることであるし、美しいことだけではもちろんないと思うけど、そのたくさんの断片を私はこれからも見てみたいと思いました。

■小林義和(3票)
母親と娘の日常を写した写真たち。その姿は慌ただしくも微笑ましくある。だが、撮る理由を読み、これがセルフポートレイトであるということの意味にハッと気がつかされる。一人きりで娘の世話をしなければならない時間帯、貴重な子育ての様子も記録してくれる人がいない。セルフポートレイトで撮るしかない。セルフポートレイトなら撮れる。さらに、第三者のいないセルフポートレイトであることがカメラを意識させない自然な写真になっており、モノクロにしたことも記録や記憶としての時間や作品の持っている複層的な意味を感じさせ、良い効果を生んでいる。一見しても写真の魅力が伝わり、深く読み込んでもさらに良さがある。セルフポートレイトでなくとも写真の魅力があるが、セルフポートレイトであるからこその価値もある。そうした複合的な力を持つことが得票にも繋がった。

■Vector Mainlander(1票)
まさにセルフポートレイトという作品で深く見入ってしまいました。今後もぜひ続けてください。

■艶子(1票)
子供を持てば幸せ、可愛いだけではない。むしろ息が詰まってしまいそう。険しい目をしてる自分を写す事はかなり勇気が必要な気がします。一見、ふわりとする母と子の写真。ご飯、お風呂、着替え、寝かしつけ…一日中の慌ただしさと戦いが写っている。この中で深沢さんがホッとする瞬間はいつなのだろうかな? 笑顔の時間は? モノクロさがより、第1印象よりも不安になってきました。それは決して悪い事ではなくて、そういう面もあるのだというリアル。セルフポートレイトで撮っているのか? 人の生活をまるで覗いてるかのようです。この技術は凄まじく強いです。ブレも頭が切れているのもリアリティ。幼い頃のアルバムには撮るぞーって感じでポーズをして写ってる。母や父の大変さは全く写っていない。お子さんは大きくなって見返した時にこんな事もあったよ、お母さんは苦戦した事もあったな〜と振り返りながら笑顔で話せる記録に。今回の写真が2人を繋ぐ絆になれたら。思い切ってこの写真を出すことは同じ思いを抱える母にとっても救いになったのではないかと思いました。このイメージだけに捉われずにこれからも撮りたい時に撮って下さい。ポートフォリオを見てホッとしました!

深沢久美 / Fukazawa Kumi


©Fukazawa Kumi

発禁カメラ女子。一般企業に勤める傍らセルフポートレートを撮ったり女性を撮ったりまれに撮られたりするワーキングマザー。
カフェギャラリー幻では「私がわたしを撮る理由2」「失恋展」「私がわたしを撮る理由3」に出展。

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準優勝: 真子「syndrome」(101票)

<カフェギャラリー幻賞>

私がわたしを撮る理由

子供の頃から女性の人生を歩むもう一人の自分をたびたび空想していた。
女性の自分に会ってみたい、そんな淡い願望。
女性になるというよりは、女性に取り憑かれるというのが正しい。
女性のわたしに会いに行く、男性のわたしに会いに来る。
一つしかない身体を奪い合って倒錯していく。
永遠のループ、もっとも近い場所にいて結ばれることのない奇妙な恋愛。

真子の日常は写真を生業とする男性。
とりわけ10年撮り続けたストリップの世界が彼の身体に真子を醸成させたように思う。
そして昨年2月に冗談で施された化粧がきっかけで、図らずも真子が覚醒した。
人工知能の如く急速にアップデートを繰り返しながら、確固たる自我を形成していく。
分裂した人格に錯乱しながらも、いつしか性別を超える強靭な個性へと融合し始めている。
この奇妙な現象を確かめたくて、自らにレンズを向けられずにはいられなかった。
まだ変化の途上、明確な答えは見えない。

講評

■小林義和(3票)<審査員賞>
はじめは、ジェンダーやセクシャルマイノリティーをテーマとした写真なのだと考えていた。もちろんそれも重要な点ではあるが、この展示を通じてより本質的な意味に気がついた。真子さんは記す――「女性になるというよりは、女性に取り憑かれるというのが正しい。女性のわたしに会いに行く、男性のわたしに会いに来る」。パラレルワールドのようにもう一人の私がいて、取り憑くようにそれが時折入れ替わる。つまりこれは性別にとどまらず、誰もにありえたかもしれない別の人生についての写真なのだ。しかも、その別の人生とは「今よりも理想的な私」のことではない。女性の自分が男性の自分を愛する、そしてその逆も。いまの自分の人生を、あり得たかもしれないもうひとつの人生が愛するという感覚。こちらでも良く、あちらでも良い。どれか正しい人生があるのではなく、多くの人生のどれもが愛おしいということ。どれかに決めても良いが、決めずに曖昧な揺れを楽しんでも良いのだという視点。そのことは、自分以外のあらゆる他者も「ありえたかもしれない私の似姿」として共感し受け入れることに繋がる。私を愛することを多様性を愛することとして捉え直すことができる作品。

■艶子(2票)
きっと下着姿だけの一枚では真子さんを深く知りたい、見たいと体の熱が上がらなかったと思います。揺らぐ気持ち、変わっていく姿の行程を一枚の中におさめる技術、想像力。圧倒的に心を打たれました。この2枚があるからこそ強く儚く焼き付いて離れません。自分を誇れている! 私は自分に日々自信をなくしています。ふとしたきっかけを皮切りに。怖じ気づく事なく進む真子さんの生き方は写真にも通じているのだと思います。刺激を受けただけではなく何にだってなれる、なっても良いのだ、そんな解放を私に与えてくれました。出逢えて良かった。このタイミングで、今で良かった。沢山の人々を救い、勇気を与える写真。これからも真子さんを見ていたいです。

■かね子はる(1票)
その美しさと妖艶さにとても惹かれました…。もっと見てみたい、知ってみたいと思わず思ってしまいました。

■Vector Mainlander
とても男性的で、女性的な素晴らしい作品だと思います。文章を読まなければ気づかないかもしれない、完成度の高い作品です。大変勉強になりました。

真子 / Mako


©Mako

1977年埼玉県川越市生まれ。2006年よりフリーランスのカメラマン。撮影ジャンルは舞台、建築、人物、鉄道など。セルフポートの制作は2017年から。「男性の体に取り憑いた女性」をテーマに撮影。

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3位: 杳芽具見「Akashic Records I」「Akashic Records II」「Akashic Records III」(97票)

<Vector Mainlander 審査員賞>

私がわたしを撮る理由

私たちは何ものかも明確にされていない。
様々な境界のあちらとこちら、その狭間。

私たちは何ものかであることも、ないことも、許されている。

それを認めることができたなら、
ただそこにあるということを
許されていることを許せたなら、
星にも花にも木にも水にも愛にもなれる。

私たちは何ものにもなれる。

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私たちは何を許すのだろう。

写真には過去しか映らない。
過去そこにあった物体、物質、時間、光、陰、
それらの経過を落とし込んだものが写真だとするなら、
私たちのこの身体こそ「写真」といえるのではないか。

幼い頃の判子注射の痕、猫にひっかかれた痕、
料理中に火傷した痕、後悔の残る切り傷。
悪くなっていく視力、あの頃無理した結果のシミ、
何度も声変わりした喉、歪んでいく骨格。
親から継いだ遺伝子、作りかえられていく細胞。
息を吸い、息を吐く。
あの星の水素から、指先に残る鉄粉まで。
迷子になった思い出から、今朝読み込んだ詩集まで。

この身体はこれまでの自分が写されたセルフポートレート。
その姿を見つめ、認識し、受け入れていく現像行為。

写ることで、許すことができるのではないか。
そこにある誰かを。

講評

■Vector Mainlander(4票)<審査員賞>
とても幻想的で美しく、またとても哲学的で個人的に一番好きな作品です。「猫はどこにでも居るし、どこにも居ない。」自己とは一番近く、一番観測がムズカシイものかもしれませんね。

■小林義和(3票)
見事。写真を技術やジャンルではなく、概念=光や時間の痕跡・現像として捉えるという作者の思想が、ただ理念に留まるのではなく技術にフィードバックして誠実に作品化されている。「コンセプト」という言葉が安易に使われがちな中で、的確に実現している作品。過去出展時に比べ、今回は鑑賞者に伝わることがかなり意識されており、しかも簡略化されたのではなく作品としての深度を残したまま異なるアプローチをしている。一見して目を引く視覚的な魅力と、鑑賞者をそこからさらに作品の奥へと引き込む力。芸術作品に必要な両面を兼ね備えている。

■かね子はる(2票)
他の出展者の方々が多めに作品を展示している中で、杳さんの作品は削り落とされた美しさがありました。写真と展示方法がしっくりとはまっていて、ずっと眺めていたい作品でした。

■艶子(3票)

杳芽具見 / Yoh Megumi


©Yoh Megumi

写真作家。大阪在住。幼少期からの自然や宇宙、人体への愛や畏れを根底に、セルフポートレイト、自然風景写真を制作している。

<主な展示歴>
2017/8 「邪教の王国」(グループ展)@SUNABAギャラリー
2017/7 私がわたしを撮る理由5(企画展)@カフェギャラリー幻
2017/2 「怪談」(グループ展)@SUNABAギャラリー
2016/9 個展「薄明-meso pic-」@SUNABAギャラリー
2016/7 SUNABAの夏フェス@SUNABAギャラリー
2015/12 SUNABAフェスティバル@SUNABAギャラリー
2015/11 個展「星に睡る」@カフェ百日紅
2015/8 第8回アンデパンダン展@アートコンプレックス・センター・オブ東京
2015/6 セルフポートレイト展「私がわたしを撮る理由4」
2014/9 セルフポートレイト展「私がわたしを撮る理由3」

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艶子審査員賞: eri「LABYRINTH」

私がわたしを撮る理由

写真の中に写る私はどこかいつも白昼夢をみている。私がわたしでないようで、一番わたしが私だと思える私のようで、それはとても不思議な感覚。
わたしが視ているカメラの前の私でいることは私にとってはいつもの私と何の変わりもない。
ただいつも誰かには見せていないわたし、誰かには見せているわたし、誰にもみせていないわたし、自分でも自分に気づいていないわたし、けれど私が写真の中の私をわたしだと感じられるとゆうこと。本当は私なんて人は存在しないのが一番のわたしのような気がする。それはきっとこれから私とゆう存在が常に進化し続けてゆくことや、それでも何も変わらないわたしがそこいる気がしている。きっと目ではみえないなにかを私は写真を通して視て、感じ、そんな感覚に私はいつも安心すると同時に恐しさを感じている。そんな写真に写る私の姿はどんな私よりも美しいと信じたい。写真の中の私はいつも解き放たれた光のようでいつも闇に包まれていて美しい。

私がわたしでしかないこと。
私がわたしではないこと。
確かなわたしがいないこと。
不確かなわたしがここにいること。
それだけが確かなこと。

永遠に分からない何かを探し求めて
私はまだ見ぬ私を探し続けている。

講評

■艶子(1票)
静か。心地の良い青。eriさんの空間だけ波音が聞こえるようだ。強い主張はないのだがそれが逆に良い。光、水、影、動物、生きてる今の中に柔らかくeriさんが混ざり合っていて、安心と共に脆く壊れそうな感じもある。安定のなさや不明確さがあえての好印象です。更にもっと見てみたいと思いました。きっとeriさんは自分の世界感があるので、写真をモチーフにインスタレーション空間を作っていくのに向いてるかと思います。

■審査員票:かね子はる(4票)

eri / エリ


©eri

兵庫県神戸市在住。
2015年ビジュアルアーツ専門学校写真学科卒。
2016年12月二人展『Black Lily』大阪市北区中崎町siroiro.galleryにてセルフポートレートを含むフィルム写真を展示。
2018年1月ZINE作成予定。

使用カメラ:Canonデジタル一眼レフカメラEOS60D・CanonフィルムカメラEOS5・ポラロイドSX70など。

卒業制作をきっかけにセルフポートレートを撮り続けています。

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かね子はる審査員賞: 該当なし

Vector Mainlander 審査員賞: 杳芽具見「Akashic Records I」「Akashic Records II」「Akashic Records III」(前掲)

カフェギャラリー幻賞: 真子「syndrome」(前掲)

本選選出者 出展作品(五十音順)

 

阿部「仮想現実」

審査員票:Vector Mainlander(3票)

私がわたしを撮る理由

2004年、mixiへの招待を機に自分で自分を撮り始めました。プロフィール欄にアイコン画像設定がありました。他の人達を見に行くと当時はまだ利用者が少なかったためかほとんどの女性は自撮り (当時は別の呼び方だったと思います) でした。斜め上から撮った可愛い写真ばかりでした。ほんとうに皆さん可愛らしかった。私も私を表す画像を用意しなくては、と思いコンパクトデジカメで自撮りをしようと決めました。私は私の顔が好きではありません。でも可愛く見せようとはしませんでした。可愛く見せようとする自分が許せなかったから。幼い頃から、嘘をついて愛想笑いを浮かべてうわべだけの付き合いをしている大人たちが嫌いでした。幼い私にさえも見え透いた嘘をついていました。円滑な人間関係を築いていくために嘘は必要だと知っています。嘘が重要な役割を果たす場合もあります。ただ、私は、自分に嘘はつきたくなかった。だから無理に可愛く撮るだなんて絶対にしたくなかった。うわべだけの私を見て繋がりを持ってもらうのも嫌でした。2004年当時は実家に引きこもり、現在で言うところのニート生活をしていました。本当の自分を押し殺して生きてきた結果、鬱病を患い、大学中退して実家に居ました。両親は、私が鬱でひきこもって居ることを地元の人たちに隠していました。県外で一人暮らしをしながらOLをしているのだと嘘をつかれていました。ネットの中でだけ、私は私として生きることができました。ネットの中でなら、外に出て働いている人たちとコミュニケーションが取れました。鬱病がひどく、家族との会話すら困難な20代の終わりに出会ったmixi。ホームページの掲示板よりも、チャットよりも、知らない人と親密になれる場所だった。憧れの外の世界に連れ出してくれる人に出会える希望を託しました。他の可愛い女性たちに埋もれることなく、早く私を、本当の私を見つけてほしかった。同じ構図で撮れば他の女性との違いが分かりません。パソコン画面に並ぶアイコンを見る時間なんて一瞬です。なにか違いを。私を見て話しかけてもらえるような写真を載せなければ。そのままの嘘の無い私が伝わる写真を。漫画家を目指して漫画雑誌に投稿していた頃にコンパクトデジカメを賞品としていただきました。漫画の背景資料用に使っていたコンパクトデジカメを手に持ち、顔が写らないように自分を撮り始めました。他の女性たちに埋もれたくない想いのほかに、顔だけで判断されたくない想いもありました。だって私みたいなブスはみんな避けて通るでしょう?話しかけたりなんかしないでしょう?外見よりも大事なところを見てよ。嘘がつけない不器用な私に気づいてよ。「本当の私を見つけて好きになって外の世界に連れ出してください」という願いを込めて、画面の向こうの誰かに向けて頻繁に自分を撮り、アイコンをころころ替えていました。目の前には誰もいません。パソコンがあるだけ。実際に存在していない、どこかの誰かに向けて何度もシャッターを切りました。カメラは人でした。ネットは現実世界と私を繋ぐ希望でした。アイコンを見て、たくさんの方々が話しかけてくれました。写真を撮っている方が多かったのを覚えています。プロカメラマンとして仕事をしている方々にも自撮りを褒めていただき、いつしか被写体として撮っていただくようにもなりました。その頃も引きこもりからは抜け出せていなかったのですが、実家まで来てくださる方々と現実世界で交流するうちに他人とも本音の会話が出来るようになっていきました。その流れで少しずつ私からも会いに行けるようになりました。初めて大阪に一人で行ったのは2004年の12月でした。薬をたくさん飲んで、ちょっとくらくらしながら近鉄特急に乗っていたことを覚えています。誰かに会いたい気持ちが体をこれほどまでに動かすなんて。会いたい人は大阪に居ました。会いたい人は趣味で写真を撮っていました。私の自撮りをいつも褒めてカッコいい加工をして作品として発表してくれていました。彼とリアルで会うきっかけを作ってくれたのが自撮りでした。現在も友人です。ネットで知り合った人が実家まで会いに来てくれたり、私からも会いに行ったりするうちに恋人が出来ました。まだまだ引きこもりニートだったのに、恋人が出来たんです。大阪から実家まで会いに来てくれた人でした。おそらくその頃から少しずつ顔も写すようになりました。2005年の春でした。自作のホームページにも顔を写した写真を載せていると、2ちゃんねるで叩かれ始めました。ブスだとかナルシストだとかオバサンだとか中傷が並んでいました。28歳だからオバサンと言われるのは仕方がないとして、ブスという言葉には深く傷つきました。一番言われたくない言葉に傷つき、mixi日記に書くと、マイミクさんたちが慰め励ましてくれました。でも、中傷メールも、無断転載も、実家の住所を特定されそうになる書き込み等も見ると怖くなり、ネットでmixi以外の場所に載せるのは辞めました。マイミクさん以外にも見られるアイコンも顔出しは辞めました。中傷しない人たちだけに見せる限定公開自撮りになりました。自撮りに関してはモヤモヤしたまま数年が過ぎ、なんと結婚することになりました。2008年、実家(地元)を出て大阪に引っ越すことが出来ました。本当の私を見つけて、好きになってくれた恋人が夫になりました。三重県の実家に引きこもっている私を好きになってくれた人です。私がわたしを撮る理由は「本当の私を好きになって、外の世界へ連れ出してくれる人を探すため」でした。一言で表すと「出会い」を求めていた不純な動機。ネットの中から外の世界へ出たあとも、鬱病だったからか元々の性質なのか、生きることがつらい気持ちは持ち続けていました。明日この世にいないかもしれない。写真データは保存していませんでした。見返す日なんて来ないだろうと思っていました。今回の展示に際し、私がわたしを撮ってきた経緯を辿っているうちにデータ保存してこなかったことを後悔しました。必死に生きてきた過去を思い出しました。いま楽しく生きていられるのも、写真のおかげです。保存してなかったのは性格がいい加減だからだと思い込んでいたけど、違いました。死ぬつもりだったからでした。結婚の話に戻ります。結婚して約一年は一人で外出は困難でした。夫に付き添ってもらいながら電車や人混みに慣れる練習をしました。唯一ひとりで行けたのは、引きこもり時代にネットで見つけ、現在の夫である恋人に頼んで連れて行ってもらい、大阪に行くと必ず行っていた雑貨屋JAMPOTでした。JAMPOTの姉妹店ONE PLUS 1 galleryが完成した時にも観に行った記憶があります。結婚し、大阪に引越した約一年後、ネットで知り合ったカメラマンさんがONE PLUS 1 galleryの企画展の打ち上げに連れていってくれました。私とギャラリーオーナーもネットでの繋がりがあり、自撮りを知ってもらっていました。打ち上げの席にて「自撮りを今度のセルフポートレイト展に出してみないか」といった内容のお誘いをいただけました。生まれて初めて写真展に参加することを決意しました。出展していない企画展の打ち上げに参加してみて、写真という共通項を通すと年齢性別関係なくコミュニケーションが取りやすいのだと身をもって感じました。大阪で友達ができるかもしれない、そんな想いで2010年1月のセルフポートレイト展に出展しました。それにネットじゃないから顔を写した写真を出しても2ちゃんねるで叩かれることもない。私の自撮りを褒めてくださったギャラリーオーナーの存在も大きいです。初めての出展をきっかけに、自撮りを「セルフポートレイト」と呼び始めました。私のなかで、感情剥き出しの自撮りは展示に値するセルフポートレイトです。ここまで書いてみると、撮る理由は作品に対して失礼ですね…。出会いのためだったり、友達を作るためだったり。だけど、当時の私が生きていくためには必要でした。人と関わりを持つこと。会話をすること。その先の目標として「外に出て働くこと」「親からの援助無しで生活すること」。生きるのは辛かったけど、死にたくは無かった。死ぬつもりだったけど、生きたかった。生きていく方法を必死に探しながら自分を撮って発信していました。初めてのセルフポートレイト展をきっかけにたくさんの知り合いが出来ました。念願だった友達も出来ました。展示写真をきっかけに他人と会話が出来ました。何度か展示を重ねるうちに複数の他人と会話ができるようになり、外で働く自信がついたため、働くスキルを得られる職業訓練校にも通いました。学校が嫌いだったので泣きながら通いました。ぎりぎりでしたが単位が取れ、修了もできました。訓練校の講義で学んだカラーセラピーを仕事としてやっていこうと決意し、修了後すぐにサロンを持ちました。セルフポートレイトを通して知り合った方々や友達の紹介のおかげで順調に滑り出し、独学で占いも習得し、予約の取れない占い師と呼んでいただけるまでになりました。自分で働いて得たお金が生活費になる喜びはとても大きかった。現在の私の生活(生 セイ)があるのは、2004年に始めた自撮りのおかげです。今も可愛く綺麗には撮れないけど、顔を写した写真をネットにも出せるようになりました。私は私だから、そのままの顔を見られてもいいやって思えるようになりました。またもしネット上で叩かれてもなんとかなるやーって前向きになっていました。住所を特定されたところで実際に危害を加えに来る人も居ないだろうし。どうせ、リアルな世界でリアルな私も見られるんだし。引きこもっていた頃のネットの中の顔無しの私は消えました。私のことを嘘をついて隠す人もいない世界に来れました。大きな大きな成長と進歩です。そこで現在の悩みなのですが、当時のような感情を剥き出しにした自撮りが出来なくなりました。「誰かここから救い出してー!」という叫びが消えつつあります。とても良い変化だけど、私自身が「セルフポートレイト」と呼んでいた写真は撮れなくなりました。でも何故か撮り続けているんです。枚数は減っても。この文章を書いている2017年8月26日現在も。途中で「セルフポートレイト」と呼び方は変えたけど、撮り始めた2004年からずっと自撮りなんですよね。ここまで書いて、展示に値するだとか考えなくても「撮りたいときに撮った素直な私が写る自撮り」がセルフポートレイトでいいんじゃないかと思う。だって、嘘の無い私を撮り続けているのだから。カメラの前の私は変わらないのだから。外見は変わっていくとしても中身はずっと私なのだから。コンパクトデジカメを片手に持って自分にレンズを向けてシャッターを切る。現在は、動機も理由も分かりません。自分一人では見つけられません。何故か撮り、展示に参加する。それだけです。地元を出て結婚もできて友達もできて外で働けるようになったのに、なんでだろう。親の援助無しで生活できるようになったのになんでだろう。自立からまだ2年ほど。現在41歳。同級生と比べると遅い社会デビューです。まだまだ欲しいものがあるのかもしれない。自分では気づいていない、満たされない想いがあるのかもしれない。目の前に存在しないどこかの誰かをまだ探しているのかもしれない。隠している私がまだどこかに居るのかもしれない。見つからなくてもいい。誰かはいつも世界のどこかで生きていて、いつか出会うときがきたのなら、私の過去を笑って話そうと思う。働いて、生活していこう。現実の世界で生きていこう。未来に向けて、新たな理由を探す旅が始まりました。

ということ全部ひっくるめて、私がわたしを撮る理由です。

阿部 / Abe


©Abe

三重県出身、大阪府在住。カラーセラピスト・占い師・詩作(五行歌)・朗読・写真撮影・被写体。2004年、SNSのアイコン画像用に自分で自分を撮り始める。同時期に五行歌を詠み始める。2010年、写真展示に参加し始める。その後は個展、主催企画展、朗読音楽ユニット結成など活動の幅を広げ現在に至る。

主な活動歴
2006年6月 「2006年恋人の日五行歌」入選 / 東京都 世界貿易センタービルにて展示
2006年10月 第12回「五行歌 花かご文芸賞」二首入選 /『彩10月号』に掲載
2007年6月 「2007年恋人の日五行歌」入賞 / 東京都 世界貿易センタービルにて展示
2008年5月 七色写真展「虹色展」/ 黄色写真の詩を担当 / 名古屋市 ぎゃらido
2008年6月 「2008年恋人の日五行歌」入選 / 茨城県水戸市にて展示
2009年5月 第9回文学フリマ / アートブックにセルフポートレイト掲載
2010年1月 「セルフポートレイト展vol.4」 ONE PLUS 1 gallery
2010年4月 「ポストカード展」 Bodaiju Cafe
2010年7月 「オトコノコ展vol.5」審査員特別賞 / ONE PLUS 1 gallery
2010年9月 「eros展」 ONE PLUS 1 gallery
2010年10月 「摩耶仙人展」 彩珈楼ギャラリー
2011年1月 「セルフポートレイト展vol.5」 ONE PLUS 1 gallery
2011年6月 「摩耶仙人展2」 彩珈楼ギャラリー
2011年10月 初個展「彼女の口癖」 ONE PLUS 1 gallery
2012年1月 HARMONISM×ABE写真展「MARBLE TRIP」コラムギャラリー
2012年1月 「セルフポートレイト展vol.6」 ONE PLUS 1 gallery
2012年5月 HARMONISM×ABE×SYO HARETOKEコラボ展「MARBLE TRIP 2」デ・クレアギャラリー
2012年9月 摩耶仙人×阿部「セルフポートレイトのワークショップ- 自分で自分を撮るということ-」
2012年10月 「摩耶仙人展3」nearly equal gallery
2012年11月 「一展」 ワイン・レッド
2013年4月 「とよヌー」 イロリムラ89画廊
2013年5月 「スマホ写真展」 ECRU+
2013年6月 朗読音楽ユニットgesi結成、音源配信開始
2013年8月 「写真。vol.2」 海岸通ギャラリーCASO
2013年9月 石田あい個展「迷走」にて詩の朗読
2013年11月 「摩耶仙人展4」 彩珈楼ギャラリー
2014年5月 「第42回 AU展」 アートスペース
2014年7月 「オトコノコ展Vol.7」 ONE PLUS 1 gallery
2014年8月 「みんなで彩珈楼展 2014」 彩珈楼ギャラリー
2014年9月 「2014、写真」 海岸通ギャラリーCASO
2014年12月 「1213展WEST」イロリムラ[89]画廊2F
2015年6月 「史上最強のインスタグラム展」 東京都 Photons ArtGallery
2015年12月 「史上最強のインスタグラム展 #IGersJP最強展大阪」 海岸通ギャラリーCASO
2015年12月 「2015/12/12展WEST」イロリムラ[89]画廊1F・2F
2016年3月「第二回 未明の方舟」イロリムラcref
2016年6月「IGersJP史上最強のFacebook写真展」 クリエイションギャラリー日本橋箱崎 CGN
2016年9月「写真の印象、展」ギャラリー・アビィ
2016年12月「回顧」KI*POTO GALLERY
2016年12月「2016/12/10展WEST」イロリムラ[89]画廊1F・2F
2017年5月「それぞれの生活2017」ギャラリー・アビィ
2017年8月「未明の方舟 -わたしたちの家出-」イロリムラcref
※他、被写体として参加した展示も多数

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音喜多歌南「あたしのことなんて誰も知らないじゃない」(左)、「あなたを待っていたら春がきた」(右)

私がわたしを撮る理由

写真とは、記録でありながら、表現するものでもあります。しかしながら、なかなか絵画のように、また夢のように、まるっきり最初から創り上げて表現することは難しい、やはりどこかに現実味を帯びたものになり、つまりは「記録」の範疇からは逃れられないのです。

私にとって写真作品は、逃れられない現実です。余計なものを取り除こうとも、また余計なものを付け足そうとも、恰好よくポーズしようとも、しなくても、「今の私」でしかない。

そんな私を見て、人はどう思うのか。どんな人間だと思うのか。どう私を表現するのか。 私という人間の判断を第三者に委ねてみたい。それが私がわたしを撮る理由です。

音喜多歌南 / Otokita Kanan


©Otokita Kanan

写真作品掲載HP『無菌室』の管理人。主に写真作品を制作しているが、イラストや油絵作品も並行して制作している。

これまで作品をHPに掲載するのみで展示や応募をしてこなかったが、2017年にアサヒカメラに写真作品が掲載されたことを皮切りに、形や手法に捉われず、より多くの作品を制作し、発表しようと努めるようになる。

写真の展示はこれが初めてである。

mukinsitsu.chu.jp

 

笠原小百合「マボロシ書店新刊売り場」

私がわたしを撮る理由

物語の主人公になりたいから。主人公でいたいから。

撮影時間の確保、写真への情熱やモチベーション……。
様々な理由から、今のわたしはセルフポートレイトを撮れません。
今回は作品を応募するにあたって、主人公となれた過去のセルフポートレイト作品に、今のわたしが書いた小説を添えました。

セルフポートレイトとは、自身の物語、その断片の描写である。

小説は、断片の描写、その連なりなのだと思います。

わたしは、わたしだけの物語を描きたい。

主人公でなくとも良い。
でも、それでも。

「主人公のわたし」にしがみつく、無様な展示をご高覧ください。

笠原小百合 / Kasahara Sayuri


©Kasahara Sayuri

1984年生まれ。魚座。O型。小学生の頃から小説を書き、2011年よりWEB文芸誌「窓辺」編集長として約6年間活動。現在「窓辺」は無期限休止に。20歳からはじめた写真は、被写体として活動後、撮る側へ。女性ポートレイトが中心。その延長で自分を撮ることも。

『私がわたしを撮る理由』には第3回に『0311』というユニットとして出展。 文章と写真を融合した展示で、カフェギャラリー幻の企画展にも多数参加。

現在は競馬ライターとして活動中。1児の母。

sayuspi.themedia.jp
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元帥栞「Cuz you're my tear, tear」

私がわたしを撮る理由

セルフポートレートは私の世界を私のままに映すための鏡です。
誰にも邪魔されないけれど、あなたをここに招待するための鏡です。
私の世界にいるあの子は、あなたの世界で遊べるかしら?
ここにいるのは全部全部私で、そして全部全部あなただから、
ねえ、鏡の前に立ってくれるなら、一緒に遊んで、
できるならば、キスをして。

marshaloopに固執しているんじゃないかと言われても、それでも私が持っているのはこれだけだから、2人じゃなくなってしまっても、私を愛していたいんです。
変わらない愛があるのなら、変わることを愛してもいい。
私たちを愛してくれた人に、変わってしまうかもしれない私をお伝えしたい。まだ愛してるよって言いたい。
でも、セルフポートレート以外に伝える方法なんて見つからないんです。
あのときより拙いかもしれなくても、わがままだけれど、これ以外に私は伝える方法を見つけたくないんです。

 

時遊神/中田毅志「be living 2016」

審査員票:艶子(1票)

私がわたしを撮る理由

あえて性的イメージを前面に押してあふれる生命の力強さを出すとともにいつまでも子供扱い、半人前扱いされがちな障害者と呼ばれるもののありのままの姿を意識し表現したいと考えています。
僕が撮りたいのは生々しく、ある意味においては美しくない、むき出しで、しかし美しくないが故に美しいありのままの今という瞬間です。
僕は被写体の、そして自分自身の過去と今のすべてを否定しません。
誰にもそんなことはできないのです。

時遊神/中田毅志 / The"U"zing/Takeshi Nakata


©The"U"zing/Takeshi Nakata

1969年、東京生まれ。
脊髄性筋萎縮症により幼い頃から身体的自由がない中、ものごころつく前には絵を描き始め2002年頃からは​オリジナル仕様の電動車椅子にカメラを取り付け、口にくわえたスティックで操作することにより写真作品の発表を始める。​
現在はストリートフォトを中心に写真・半立体・絵画・作曲・作詞などの創作活動をする。

'91KFSなんでもイラストフェスティバル、コパトーン賞受賞
'94ドリームドゥローギャラリー大賞入選
'01岩城CGアートフェスティバル静止画部門・準グランプリ獲得
'04Next One's Competition次世代型アーティスト発掘コンペ招待作家として選抜
'09新宿眼科画廊にてグループ展ART & PHOTO BOOK EXHIBITION 2009に参加
'11ギャラリーアビィ「でかフォト●3」に出展
'11ギャラリーアビィ「夕暮れイロ●3」に出展
'12オメガアルゲア、アンデパンダン「第一回オズ展」に出展
'13ニューヨークOuchi Gallery第8回100人展に出展
'15ニューヨークOuchi Galleryにて個展開催
'15 Photographer's Forum magazine Best of Photography 2015 ファイナリスト
'16 第41回「視点」に入選
'16 ニューヨークOuchi Galleryグループ展「JCAT SHOWCASE 20」に出展
'16 ニューヨークNOHO M5ギャラリー「LIFE」展に出展
'17 ニューヨークOuchi Galleryにて個展開催
'17 第42回「視点」に入選
'17 ニューヨークOuchi Galleryグループ展「JCAT SHOWCASE」に出展
'17 ギャラリールデコ「闇の王Ⅳ」に参加

theuzing.com
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東司西浄「わたし」

私がわたしを撮る理由

個人を確認する表面的な見方。人間の利己的な愛情や、人間としての本質が長い事テーマとして自身の中にあり、人間の存在自体の曖昧さを自身に投影させてのセルフポートレート。

東司西浄 / Tosu Seijin

人間はコロコロと形を変え、大抵は都市部に行けば行く程、その姿は荒んでくる。しかしながらその姿は表面化はしない。その人間の形を模索しながら創造していくのが愉しみだと考える。

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とみい「わたし」

私がわたしを撮る理由

最も好き勝手にしてよい素材であること。
写真を始めて人とは異なる表現がしたいと思ったときに
行きつくところは「自分」しかなかった。

ただし、美しくもなく若くもない自分だけではみられたものでは ないので、
ひたすら熊(ぬいぐるみ、イラストなどキャラクター化されたもの)と一緒に撮る、
似顔絵にしてもらったものを写真に再生する、といった活動をしています。

 

novustojkovic「独り花と毒」

審査員票:小林義和(1票)

私がわたしを撮る理由

最初のきっかけは 美術モデルとしての
宣伝の為に ヌード写真を撮らなければいけない 必要に迫られた所から始まりました
簡単にはいきません
裸は撮るのも 撮られのも大変です

写真家さんに写真撮ってください!
裸ですが!

男性カメラマンは照れて断り
女性カメラマンは 変態を見る目に変わり 連絡はつかなくなりました

ある日 美術モデルの友達のヌードを撮ってる時に話したら
自分で撮ればいーぢゃん?
!自信もあるべ?
「まぁ確かに」
そこから 自分でポーズ集を作り初めて
気がつけば表現の1つになりました

元々 僕は 美術モデル仲間が裸で仕事をしている事を いかがわしい、恥ずかしいと罵られるのが嫌でした
何とかして その 偏見を無くしたい
裸=いやらしいを
裸=美しいに 変えて行きたい活動が
裸を撮る理由でした
裸を撮る理由=自分を撮る理由
になって行ったのを覚えています。

裸のモデルを探すのも
裸を撮ってもらうのも
大変でしたから!

僕は セルフportraitも 普通の写真も
猫の写真も 「個々に違う物」では有りません
見る人
撮る人
撮られた人

それぞれの違う状況で感じ方や
見え方が変わる

「実は同じ物」
だと思います

selfportraitも
にゃん写真も
見る人側 伝える人側で、全て変わる
同じ物 だと思います
作者の意思を越えて 変わってゆく作品も 元は同じです

全ての作品は
「伝えたい事が有る」
から撮ってます それは selfportraitだけに限ってません

self portraitを撮る理由は
実は無いのかもしれません
全ての作品の理由と変わらないのですから。
1つ言えるとしたら
やはり 美術モデルが影響した
裸=美しい が妥当では無いかと思います
内面を撮る!selfportraitとは少し違う
かもしれないです
まだまだ 探索したいです
完成したくないです

「美しくなければ作品では無い!」
大好きな言葉です

追記
美しいと言う概念は
キラキラした ツルツルした眩しい
などではなくて その人が「美しいと思う物」です

novustojkovic / ノブ ストイコヴィッチ


©novustojkovic

ウクライナ出身
美術モデルと写真家と地域猫を守る活動をしています。

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マキエマキ「C'est bien comme ça?」

私がわたしを撮る理由

私が、私を撮ろうと思ったきっかけは、49歳のときに34年ぶりに着たセーラー服でした。

20代前半、モデルやイベントコンパニオンといった仕事をしていた私は、男性からセクシャルな目線で見られることに嫌悪感を覚え、当時、圧倒的に男性が多かったカメラマンという仕事に興味を持つようになりました。

27歳で職業カメラマンとして独立してからの20数年間、セクシャルな目で見られることを避けたくて、ことさらに女性であることを感じさせないように振舞ってきたのですが、そのセーラー服が、私の中の封印していた「女」を呼び覚ましたのでした。折しも、閉経間近。短いスカートから覗く丸いヒップや、なんとか張りを保っている脚のラインはあと何年保てることだろうと思ったとき、今の自分の姿を残しておきたくなったのです。

撮影のコンセプトは「昭和エロ」。

体のラインを写すとなるとヌード、もしくはそれに近い表現になるので、そういうものを撮るとなると、真っ先に浮かんだのが、70年代〜80年代のピンク映画やエロ本のビジュアルでした。

子供の頃、親に見るなと言われた街中のピンク映画のポスター、橋の下に落ちていた湿ったエロ本、私のエロスの原点はそこにあります。自分の体を使って自身のエロスを形にする、その考えが浮かんだとき、セクシャルな目線で見られてしまうことへの嫌悪感から解放されたような気がしました。

閉経すると、女性の体は急激に変化していきます。と同時に恋愛や性に対する関心も薄れていくような気がするのです。

恋すること、愛すること、性の歓び、そういうものをいくつになっても持ち続けていたいという願いを込めて、自分の中のエロスを形にする、それが私のセルフポートレートです。

マキエマキ / Makie Maki


©Makie Maki

1966年 大阪生まれ。
93年よりフリーの商業写真家として活躍する一方で、2015年秋に「愛とエロス」をテーマにしたグループ展に出展したことがきっかけで、自撮り写真の魅力に目覚める。以後、夫の協力を得ながら、セーラー服に始まり、ホタテビキニから女体盛りまで様々なロケ地やシチュエーションを模索しながら、「人妻熟女自撮り写真家」として発表を続けている。

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めぐナリー「帰り道」

私がわたしを撮る理由

お互い全く違う人生を生きてきたふたりが今ここに一緒にいる事実。
それを記憶だけでなく記録として形にしていく。
それぞれのこれまでを受け入れながら、これからを作っていく。
そのための方法。
それが私達がわたしたちを撮る理由。

めぐナリー / Megunary

撮影・アイディアをワイナリーが、モデル・素案・最終加工を西嶋愛深が担当するカップル作家。2016年2月に付き合いはじめ、同年7月、共同作品を作成するようになった。現在は同棲し、お互いの違いを認めながらそれを作品としてアウトプットするために試行錯誤中である。

 

りゑを「sanctuary」

審査員票:Vector Mainlander(2票)、艶子(2票)

私がわたしを撮る理由

縛られている、と感じる。

働く社会人としての自分。
夫と結婚した妻としての自分。
大人としての、女性としての自分……。

何かの一部分となり、存在を認識されていることに安心と幸福を感じながらも、
"◯◯らしくいなくてはならない"という縛りに不自由だ、息苦しいとも思う。

いい歳した大人だけど自分撮りがしたい。
社会人だからTPOは守るけど、休みの日ぐらい大好きなフリフリの格好がしたい。
結婚していても表現したいことがあるから、
肌を露出する写真も撮りたい。

世間や親に子供を産むことを期待されていることは知っている。
応えられないことに罪悪感もある。
でも私は、これからも夫と猫と一緒に好きなことをして暮らしていきたい。
それが私の幸せだと思っている。

自由でありたい。
自由とは、世間体や常識に囚われずやりたいことをやるということ。

自分でありたい。
自分であるとは、何事も己の意思で決定するということ。

だけどやっぱり難しい。
流されては、誰かや何かのせいにしてしまう。
自分で自分を縛っている。
気持ち良く生きていくためには、もっともっと努力が必要。

だから自分の中、ほんの少しのスペースでいい、
何の役割も持たない"ただの私"でいられる場所がほしい。

セルフポートレイトがとても好きだ。
1から10まで思うがままに、自分の力でやり遂げることができるから。

自分の意見だけでコンセプトを練る。
自分の撮りたいタイミングでのみシャッターを切る。
カメラマンと予定を合わせる必要もない。
気が向かなければ撮らなくたっていい。

その解放感。

出来上がった写真の中には、私しかいない世界が存在している。
好きなことをやりたいようにやる私が。
社会人でもない、妻でもない、大人でもない、女性でもない、どのカテゴリーにも属さない、まっさらな私が。

どんな"◯◯らしく"よりも"自分らしく"が一番大事だということ。

セルフポートレイトは、他の誰も入り込めない、自由でいられる、自分になれる、小さな聖域のようなものだ。

りゑを / Riewo


©Riewo

1986年生まれ。B型。
2007年、持て余す自己顕示欲を鎮めるため、モデル活動を始める。
カメラマンと相談しながらテーマ、ロケーション、衣装などを企画し、加工、編集は自身で行う。
2008年、表現をより突き詰めるため、セルフポートレートを始める。
以降、都内のギャラリーを中心に展示活動を続ける。

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投票

ご来場のお客様と審査員の投票により入賞者を決定します。ぜひ投票にご参加ください。

※観客票の受付は最終日前日の1/26(金)で終了

  • 観客票
    1名につき1~3位の作品を必須選択。
    1位に3票、2位に2票、3位に1票を配当
  • 審査員票
    1名につき10票を任意に投じる。出展者一人への複数票も可
  • 本選審査員
    Vector Mainlander(写真家 / annjulia annjerica / Jabberwock gallery)
    かね子はる(写真家 / 「私がわたしを撮る理由4」優勝)
    艶子(アーティスト / Cafe Gallery 幻)
    小林義和(美術家 / Cafe Gallery 幻)
 

  • 優勝 副賞/カフェギャラリー幻での個展開催権
  • 準優勝 副賞/カフェギャラリー幻の企画展出展権
  • 3位 副賞/カフェ2000円券
  • 審査員賞
     Vector Mainlander 賞 副賞/Jabberwock Gallery 1週間レンタル無料チケット & Vector Mainlander Zine つめあわせ
     かね子はる賞
     艶子賞 副賞/カフェギャラリー幻の企画展出展権
     カフェギャラリー幻賞(小林義和選) 副賞/カフェギャラリー幻の企画展出展権
 

予選

  • 応募総数:27名
  • 選出者:15名
  • 予選審査員:艶子・小林義和(Cafe Gallery 幻)

予選総評

例年に増して個性的な制作背景や作風をお持ちの方が多かった印象です。そうした中でいかに独自の写真を示せるか(その可能性を感じるか)ということが重要になりました。それは単に奇抜ということではなく、ある種「私」の平凡さに自覚的かということでもあります。 セルフポートレイトは「私」を写すものですが、私そのものを評価するのではありません。人間に優劣は無いので「私」に順位を付けることはできず、評価できるのはあくまでも私を写した「写真」です。 「私」は個人ですが、「私を写した写真」は時に個人を越えて社会や世界や芸術やもっと別の何かに触れ、私以外の人の感情も動かす。その可能性を感じるものを本選に選ばせていただきました。

また、選考に当たって写真と言葉の一致も重視しました。撮る理由に強く惹かれる部分があっても、それが過去の参考写真に結実しているか、写真から理由の説得力が感じられるかという部分で残念ながら選外とさせていただいた方もいらっしゃいました。

さらに、写真展では写真を撮ることだけでなく、展示し、見せることが重要になります。何を撮りたいかだけでなく、それをなぜ人に見せたいのか、どう伝えたいのか、といった鑑賞者との関わりに意識的な作家さんの写真を重視し、実際、そうした写真に魅力的なものが多く見られました。

以上の言葉をもって今回の予選総評とさせていただきます。(小林)

関連イベント

 

審査結果発表&クロージングレセプション

1月27日(土) 19:00~22:00
会期中の観客&審査員投票により各賞を決定。
どなた様もご参加いただけます。ぜひお越しください。

▼結果発表はLive配信します
>Youtube 結果発表Live配信

 

Twitter セルフポートレイトコンテスト

会期中、Twitterに投稿されたセルフポートレイト写真から優秀作品をリツイートで紹介。
・ハッシュタグ #私がわたしを撮る理由
・「私がわたしを撮る理由」の文章を添えて
※展示のご感想なども上記タグでぜひお寄せください。

公式Twitter: @w_w_t_r

 

作品&グッズ通販

一部非売品を除き通販も承ります。

審査員

 

Vector Mainlander / ヴィクター・マインレンダー


©Vector Mainlander

[ ジャバウォック・ギャラリー ギャラリスト / デザイナー / 写真家 ]

1978年生まれの日本人。関西を中心に活動する京都出身の写真家。写真家「藤田一咲」に師事。

声優、デザイナー、商業カメラマン(広告写真)、テーマパークカメラマン、ラボマンなどを経て、現在では有名カメラ雑誌などでカメラマン、有名アイドルや写真集のレタッッチャーとしても活躍中。

主な被写体は「ロリィタ」に属するファッションフォトや「ゴシックカルチャー」などの俗に「アングラ」と呼ばれるジャンル。作風は「耽美」且つ「憂い」を秘めた作品が多いが、大手カメラメーカーに店頭用サンプルなどを提供していた事もあり、一般受けするような明るい作品も数多く存在する。フィルム、デジタルなんでも使うオールラウンダー。

多くのワークショップの講師や主催を行いながら、自身もさまざまなワークショップやイベントに参加するなど、日々知識の向上に努めている。

プライベートでは映画を年間300本以上観る映画マニア。

Jabberwock gallery
annjulia annjerica

 

かね子はる / Kaneko Haru


©Kaneko Haru

1998年生まれ。東京在住。5歳の時にクラシックバレエを始める。2014年写真を撮り始める。2015年に「私がわたしを撮る理由4」にて写真展に初出展。同展示で1位を得て本格的にセルフポートレートで活動を始める。

当初からの踊りを交えたセルフポートレートを続ける一方、近年は自分の踊り以外にクローズアップした作品も作るようになる。現在、日本大学藝術学部写真学科在学中。

2017年3月17日〜4月1日、Cafe Gallery 幻で個展開催予定。

Tumblr

 

小林義和 / Kobayashi Yoshikazu


© Barajuzidan, Tsuyako

イラストレーター。美術家。Cafe Gallery 幻 代表。1978年生まれ。長野県出身、東京都在住。薔薇十字団名義でイラストレーター業を行う傍ら、呪物崇拝や妖怪を題とした美術作品を制作。Cafe Gallery 幻では企画、キュレーション、経営等を行う。

barajuzidan.com
Twitter

 

艶子 / Tsuyako


艶子『赦す』(2012)

「私がわたしを撮る理由」企画者

1986年生まれ。東京都出身・在住。自身の精神治癒として高校時代より独学でセルフポートレイト写真を撮り始める。近年では他者との関係性を題材にポートレイトを始め写真だけではない活動にも着目。2012年7月13日の金曜日「Cafe Gallery 幻」を開店し、店長となる。 幻では主にデザート製作と企画を担当。

2008年 個展「END ME」BEMSTAR cafe & gallery /♪ライブゲスト:田村昭太(blgtz) 小林祐介(THE NOVEMBERS)
2010年 主催企画展「seven/7 view point for Tsuyako」atelier BEMSTAR
2011年 「オトコノコ展」ONE PLUS 1 gallery / 審査員特別賞
2012年 「オンナノコ展」ONE PLUS 1 gallery / 観客投票4位 審査員特別賞
2012年 主催企画展「セルフポートレイト展 私がわたしを撮る理由」カフェギャラリー幻
2012年 艶子×シ゜二人展「obscure」カフェギャラリー幻
2014年「dot & meme #01"Portrait Alternative"」Gallery 知
2016年「第2回未明の方舟」イロリムラcref
2017年 主催企画展「おやすみなさい、わたし 第0回おやすみのあいさつ」カフェギャラリー幻
2017年 写真グループ展「闇の王Ⅳ」ギャラリールデコ

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